P.7 気づいちゃった

気づいちゃった。

 


人のために懸命になることって

ほんとに大事だよなぁって。

 

ありきたりだし、キザな感じするなぁ。

 

でもほんとに大事で。

自分の中で腑に落ちた瞬間が

たまたま今だったんだろうな。

 

人のためになりなさい…とか

そういうことじゃなくて。


誰かのために自分を削るわけでもない。

そしてやっぱり自分のためのもので…


自分の原動力になるものというか…。

 

そして、たぶん、誰にでもじゃなくて

自分の近くにいる人、一緒にいたい人、してあげたいなって思う人に対してなんだろうなぁ。

 


ほんとに感覚的にだし、

特に根拠もない。

宗教チックで頭やられたのかって

思うかもしれないけど笑

 

 

 

ただ、調べ物してただけなんだよ。

急だし、ほんとに気まぐれ。

もっと感動的なタイミングで気づけよ笑

よりにもよって研究室…

 

 

 

最近、周りからよく聞いてたからかな。

 


なんていうんだろ、

ほんとに、気づいちゃったって感じ。

 


ようやく…っていうのと、

あーあ、気づいちゃったって感じと笑

…なんでだろ笑

 

 

 

これから何か変わるのかなー

そんなことを匂わせるようなヒトリノ夜。(だからロンリロンリー♪)

P6. 氷山の上で雪合戦part1

頭の中ってたっくさんの経験の塊でできてる。

だから1人の人が持っている情報量って果てしない。

 

経験したことがそのまま蓄えられるんじゃなくて、一回分解されて、それも最も効率的な形で頭に蓄えていく。

 

だから脳ってすごい。

 

けど、蓄えた経験はほとんど表に出てこない。心の深いところで知らないうちに動いてる。意識は自分のほんの一部。

 

自分がどれだけ自分のことを分かってるといっても、それは氷山の一角で、それこそ今にも沈没しそうに水面下を彷徨ってる。

 

それでも人は、海面に出たわずかな雪面から、雪玉のように言葉を丸めて、対岸の氷山に投げてぶつけようとする。

 

たくさん雪をかき集めておくこと、雪玉の投げ方を身につけておくことはとっても大事。

 

けど、投げた雪は水面より上の氷山にしかくっつかないし、くっついても水に浸って溶けちゃうこともあってとっても大変。

 

ここまでは、言葉の話。

 

本、LINE、SNS…雪玉を投げることでしか伝わらない部分。

 

だからSNSは苦手笑

 

じゃあ目の前の人とコミュニケーションをとるときは?

 

もちろん雪玉は投げるのだけど、至近距離攻撃が可能になる。適当に投げても、玉にならないまんまぶっかけても、近いからちょっとは届く。

 

もっと大事なのは、水面より下。

近づいたら、おっきい氷が水の中で衝突する。水面下は上手く見えないから、知らぬ間にぶつかってて気づかない。でもなんか伝わってる。

 

ぶつかり続ければ、訳わかんないけど、相手のことがよくわかる、共感する、だからこそ感情も大きく揺れる。氷はくっついちゃうから。

 

ぶつかって削れてくっついて、頂上も近いから雪玉もよく当たる。

 

距離が近いってこういうこと。

 

 

余談だけど、ぼくがいま大学でやってるのは、上手く前が見えない潜水艦に乗りながら、水面下の氷のくっつき方をみる作業。これまた果てしない。

 

 

思いつく限り。

今日はとりあえず、ここまで。

 

P.5 ぜんぶぜんぶ人に近づきたいだけ

(この記事はごちゃごちゃと自分の感情を書き連ねてるだけです。)

 

昨日の投稿。

https://wanderingkotter.hatenablog.com/entry/2019/04/25/003301

 

なんか、自分で言っといてモヤモヤ。

 

そこにはあんまり反響がなかった不安と「いいね」に依存してる自分の姿もあって…たぶんそれは褒めてほしいんじゃなくて、共感を得られないことに対するモヤモヤ。

 

きっと思ってることが届けば共感してくれるっていう期待。承認欲求でもあるのかなぁ。

 

昨日はたぶん、他人のためにやってるっていう綺麗事ではないんだってことを言いたかったんだ。

 

あの一瞬も色んなことが頭の中で起きてた。

 

カップルに会った時、まず傘をあげたいなと思った。

 

いちばんの理由は良いことができるチャンスだと思ったからかなぁ…

 

濡れて可哀想だからあげるって意識的な発想はなかった。(でも入り口はたぶんここ。)

 

雨で濡れたって恋人といればそれも思い出として残るし、悪くはないなって。自分はそう思うから。

 

それと同時に、お金のことで傘をあげるのをためらう自分がいた。

 

でもこれで渡さなかったらなんか後悔しそうだなって。(渡さなかったけど笑)別にあげなきゃいけないなんてことないのに。

 

そこには、いい人にならなきゃって気持ちが隠れているのかなぁ…

 

この記事を書くのも、いい人でいたいから、言い訳したいって気持ちがあって、でもそれは自分の言葉の責任逃れで。じゃあ最初から上手く書けるかってそうでもない。

 

かっこいいことを言いたいって気持ちの反面、スカしてみんなから遠ざかりたくなくて。

 

いい人でいたいのも人に近づいてほしいから。

 

結局、人の近くにいたいんだなぁ。

P.4 時に「かっこいい」にはお金も必要

飲み会の帰り道、雨の中濡れながら手を繋いで歩いてるカップルを見つけました。

 

ぼくはそのカップルに自分の傘をあげたいと思いました。(もちろん嫌がられたら引き下がる)

 

それは

①傘をあげることで、自分がかっこいいことしたなって満足感を得たいから。

②傘をもらったカップルが、こんな優しい人がいるんだなって話をしながら、ほっこりした気持ちになって、自分もそんなことできたらな、もしくは、他の人にこんなことがあったって話したいな、って幸せの連鎖ができるかもって妄想が楽しいから。

 

これは偽善でもなければ自己犠牲でもないです。

 

まず、自己満足のために傘をあげるからということ。

そして、その自己満足を得たいがために、傘というコストを払うからということ。それは、1000円程の傘を再び買うという代償。

 

これって、自分をカッコよく見せたいから服を買うのとあんまり大差ない。

 

今回ぼくは、かっこいいことをしたっていう自己満足と約1000円を天秤にかけた時、お金のなさから自己満足を買える余裕がありませんでした。

 

余裕があればチャレンジしてみたかったなぁ。

 

だからやっぱりお金は欲しいなって思いました。

 

カッコいいと思える自分でありたい。そう思えることで幸せでいたい。

 

そんなことを思った飲み帰りでした(飲みはカッコいい大人の方が出してくれました。ごちそうさまでした😋)

P.3 大学4年間を振り返る Part 1

大学4年間のことはひととおり落ち着いてからにしようと思っていましたが、

部屋に放置されていた紙束を片付けながらふつふつといろんな思いが湧き上がってきたから、休憩ついでにパソコンをカタカタ…

 

今回は…勉強編かな?

 Part1で終わる可能性も大だけど笑

  

1年の時からたまりにたまった紙たちとのおしゃべりは

個々の主張が激しすぎてなかなか次に進ませてくれません。

おいおい、引っ越しできるのかよ。

 

こんなに勉強してきたの!?

正直な感想はそれに尽きます。

大学に入るまでの勉強と大学に入ってからの4年間は

圧倒的というほどに勉強量が違う。

 

授業で使っていたであろう紙を見返すと

専門の勉強をしていると思いきや裏には英語のライティングがびっしり

とっても自慢のように聞こえるけど、

それだけたくさんのことを勉強していたようです。

 

英語、動物科学、心理学、哲学、農学、教育、地方創生、経営、社会学、文学(アニメ)

専門的とは言えないかもしれないけど、いろんな学問に足を突っ込んだ

 

今考えると信じられない

これから大学院にいくぼくは、こんなに勉強していけるのだろうか

 

ただ、身についているかというとそうではない

せっかく勉強しているのに、覚えているのはほんとごく一部

 

授業で教わった内容はほとんど覚えていないけど

いつの間にか自分でやってたことはぼんやりと頭に残ってる

 

勉強する内容がいかに自分に惹きつけられるものでないと

いけないかということを思い知らされる

 

 

そしてめちゃくちゃ助けられてた

テスト前に使っていたであろう紙束の中からは

友達や元カノからもらったノートのコピーの数々、、、

ちゃんと勉強していたという発言、撤回します笑

 

 

改めてこの4年間を通して

自分はぎりぎり人間だったことを思い知らされたし、

そのたびに迷惑をかけながらとても助けられて乗り越えてきた

 

あと思うのは、やってるときは全然実感湧かないけれど

改めて思い返すとその時出てこなかった感情が山ほど出てくる

 

日々を振り返ることで色んな出来事を置いてけぼりにしない

っていうのもとっても大事な事だと思ったし、

いま、この瞬間にそんな感情たちを享受できるよう

一瞬一瞬を大事にしていこうと思う。

P.2 大切なものは何も捨てたくない、妥協したくない

仕事のために家庭を犠牲にするだとか

好きな事をするためにこれは諦めようだとか

 

そんな言葉にはすごくモヤモヤする

 

全部やればいいじゃん

天秤にかけて小さかったものだって

それってやりたいことだし大切なこと

 

 

大切なものは何も捨てたくない、妥協したくない

 

全部全部やりたいってわけじゃなくて

諦めたくないんだと思う

 

全て100%でやろうとすれば

自分のタスクがいっぱいになって

むしろ動けなくなってしまうもの

 

それは特にこの1年間で学んだこと

 

ただ、だからといってそれを諦めるのもまた訳が違う

 

心にとめておきつつも

今この瞬間に、その物事に何%の力で

取り組むかを考え実行する

 

100%をたくさん持っていると自分の限界を超えてしまうけど

休む、何もしないっていうのも含めて

100%のキャパの中で自分の大切なものをどんな割合で詰め込んでいくのかが

真に全力で取り組むことなんじゃないかって思う

 

まだまだ自分のキャパは把握しきれてないし、

これからも全部知ることはできない

 

けど、そんなところも含めて

ぼくは全力少年でありたいな

 

P.1 3.11という日

今日にしか書けない事だから、慌てて書き始めちゃった。

 

東日本大震災から8年。

 

当時、この地震がこれほど歴史に残るものだとはつゆにも思わなかったし、その被害の甚大さは何度映像で目の当たりにしても話を聞いても自分事に受け止めることはできずじまい。

 

けど、なんでだろうね。

岩手に来ることになって、こんなにも身近に震災の影響を感じるようになった。

 

そしてそれは、被害の大きさというよりも、この地に集まる思いの強さに圧倒されてるということ。

 

震災直後、ぼくが何にも考えずに日々を過ごしている間に、どんどんアクションを起こしていた人が周りにたくさんいることに気付かされた。自分は何をやっていたんだろう

。それに気づいた今、自分も少しはアクションを起こせるようになっただろうか。少しずづでも前に進んでいきたいな。

 

 

そして実はなによりも今日は弟の誕生日。

ようやく20歳だね。

20歳だなんて思えないほどの貫禄だよ、ほんとに。それだけ色々経験してきたってことだよね。

 

本当に特別な日。やんちゃって言われる弟だけど、ほんとはおれの方がいつも迷惑かけてた。なにかと比較されることもあるだろうし、勉強なんかで優劣付けられてたこともあるかもしれないけど、おれなんかよりずっとすごいなって思ってるよ。いつもありがとう。これからもよろしくね。